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覚えてる?当時の若者がこぞってハマった90年代の大ブーム8選

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バブルの残り香が漂う90年代。今よりも人々がどことなく浮かれていたような気がするあの時代、当時10~20代の若者たちからさまざまなブームが生み出された。アメカジ、渋カジ、裏原ファッションが一斉を風靡(ふうび)。海外から個人輸入したスニーカーやビンテージのデニムが人気を集める一方、女子高校生たちはミニスカの制服にルーズソックスで渋谷の街を闊歩(かっぽ)した。ポケベル、携帯、PHSと通信機器も年々進化して、人々のコミュニケーションツールが激変したのもこの時期。玩具もどんどん進化し、大人も子どもも「たまごっち」に熱狂した。

日本に勢いと活気があった“あの頃”を思い出させる、8つの大ブームを振り返る!

こまめなお世話で大わらわだった「たまごっち」

1996年発売の初代「たまごっち」©BANDAI

“たまご+ウォッチ(時計)”が名称の由来の「たまごっち」は、1996年11月23日発売。ボールチェーンにつながったたまご型のかわいい電子玩具で、当初は女子高校生の間でブームに。1997年になるとそれ以外の層にも人気が広がり、どんどん入手困難になっていった。当時、販売数50個に対して抽選券が約4000枚も配られたケースもあったそう。

モノクロの液晶画面に現れる「たまごっち」という謎のキャラクターに、ご飯をあげたり、うんちを流したりして育成するのが遊びの内容。最終的には「まめっち」「くちぱっち」など、さまざまな種類のたまごっちに成長するが、お世話を怠けたり、寿命が来ると死んでしまう。その突然の死に“たまごっちロス”に陥った経験のある人も多いのでは?

ちなみに90年代は第一次ブーム。以降、アニメ化されたり、機種もリニューアルされて年々進化。2021年には発売25周年を迎え、最新機種「Tamagotchi Smart」が発売されるなど、息の長い人気を誇る。

極小サイズでいつでも遊べる「ミニテトリス」

ゲームテックから現在発売中の公式ライセンス製品「テトリス®ミニ」(1500円/税別)。

「たまごっち」の大ブームと同時期の1996年、上から落ちてくるブロックを消していく“落ちゲー”=落ち物パズルゲームの元祖テトリスが遊べる極小のキーホルダー型携帯ゲーム機が10代の間で大流行。通学カバンに付けて持ち歩き、授業中、先生の目を盗んで延々テトリスで遊び続けた思い出がある人も多いかも。チープな価格で、お小遣いの少ない子供でも手に入れやすかったのも人気の秘密。サービスエリアや観光物産店の定番商品で、修学旅行のお土産で買った人もいるだろう。

当初は公式ライセンスを持たない、いわゆる“パチモン”から人気に火が付き、後から公式ライセンスを得た「テトリスJr.」が発売されたという、今より権利関係が緩かった時代ならではの逸話も。

リア充がこぞって使った「ポケベル」

さまざまな機種が登場 写真提供:東京テレメッセージ

スマホはまだなく、携帯電話を持つ人もごくわずかだった90年代の初頭。それまで緊急のやりとりが必要な医師などの間で利用されていた無線呼び出しサービス「ポケットベル」=略して“ポケベル”が、10〜20代の若者たちの間でも一気に広まった。1987年以降、画面に数字が表示できるようになったため、最初は「0833(おやすみ)」、「114106(あいしてる)」など数字の暗号を使ったメッセージで恋人や友人とやりとりすることがちょっとしたブームに。そして短い言葉のメッセージが表示できるようになった90年代になると、さらに人気が拡大。“リア充”たちが、われもわれもと契約に走った。不倫関係の男女がこっそり…というパターンも多かったようで、1993年にはそんな風潮をテーマにしたドラマが放送され、ヒットしたことも記憶に残る。しかし、そんなブームも栄枯盛衰だった。90年代も中盤に入ると、性能は上がり価格は下がった携帯電話が一気に普及。ポケベルは徐々に忘れられた存在になっていったが、現在は形を変え、ポケベル波を利用した各自治体の防災放送などに役立っている。

女子高校生の必須アイテム「ソックタッチ」

写真は1994年発売の商品パッケージで、ピンク、ブルー、イエローの3色 写真提供:白元アース

当時の女子高校生の間で爆発的に流行したルーズソックスは、90年代の学生ファッションの代表格。令和になった今、リバイバルブームが訪れているが、このルーズソックスを格好よくはきこなすための必須アイテムだったのが「ソックタッチ」。長い靴下がちょうどいい位置からずり落ちないように留める液状の靴下のりで、片手で塗れるロールオンタイプ、携帯しやすいサイズといった仕様も女子高校生に支持された。

商品自体は1972年に発売されていたがしばらくして生産中止。90年代のルーズソックスブームの下でその機能が見直され、第二次ブームを巻き起こした。倉庫に長年眠っていた在庫品があっという間に売り切れて、急きょ生産が再開されたという伝説が残る。

みんなで撮りまくった青春の記録「プリクラ®」

初代「プリント倶楽部®」。まだ覆いのないシンプルな筐体だった ©SEGA

1995年7月、CCDカメラを用いた初のプリントシール機「プリント倶楽部®」がゲームセンターに登場した。翌年になると、当時大人気だったアイドルの番組で取り上げられたことを発端に、日本中でブームが到来。まだ携帯にカメラの機能が付く前の時代、友達同士で遊んだり、デートをした記念にパチリと撮った記憶のある人も多いだろう。女子高校生たちの間ではプリクラ®を撮る時の決めポーズが次々と生み出され、友達同士で名刺代わりに交換することもはやった。

その後、ブームに乗ってさまざまな会社が多彩なプリントシール機を開発。90年代の後半には、全身が撮れる機能があるものや肌色を加工できるものも登場した。机の引き出しから若き日のやんちゃなプリクラ®がひょっこり出てきて赤面した経験がある人も少なからずいるはず!

女子学生御用達「ミルキーペン」

パステルカラーの淡い色合いもキュートで、当時の女の子たちの胸をワクワクさせた 写真提供:ぺんてる

90年代後半のほとんどの女子学生のペンケースに入っていたのがミルキーペン。ぺんてるから1996年に発売されていたこのペンの正式名称は「ハイブリッドミルキー」といい、2019年にリニューアルされて限定発売されたのも記憶に新しい(現在は生産終了)。不透明なパステルカラーゲルインキを業界で初めて採用し、黒い紙や写真にも書けるボールペンとして画期的な発明品だったこのペン。女子たちの間でプリクラ®やプロフィール帳が大流行したことに伴って大ヒットを記録し、1年に1億本以上を売り上げたというから驚きだ。発売時は全7色。

あっという間に広がってあっという間に消えた第2のケータイ「PHS」

コロンとコンパクトなPHSが初ケータイという人も多かった

2021年1月末、ひっそりと法人向け以外のサービスを終了した「PHS」。携帯電話の普及が一気に進んでいた1995年7月に開始されたこの通信サービスは、お小遣いでも払える手軽な料金が受けて高校生たちを中心に人気が広まった。トランシーバー機能を搭載した機種同士では、通話料金なしで近距離通話できたことも若者たちのお財布事情とマッチ。1996年には今のSMSにつながる“Pメール”と呼ばれるメッセージ機能が搭載された機種も登場し、当初は20文字という制限があったもののポケベルに変わる“リア充”たちの恋のメッセージツールとしてさらに大ヒットを記録した。1997年には「たまごっち」内臓のPHSが発売されたことも。

97~98年には契約数が700万件を突破して携帯電話に迫ったが、2000年代になると携帯電話の料金が下がり、学生割引などで手軽に利用できるようになったため急激にユーザーが減少していった。

早く大人になりたくて背伸びした記憶!「資生堂ヌーヴ」

カラーバリエーションも豊富だった。写真はネイル 写真提供:資生堂

一流のコスメブランドに一気に注目が集まった80年代を経て、お手軽にコンビニやドラッグストアでも買えるプチプラコスメのブランドが登場し始めたのがバブル崩壊後の90年代。中でも大人の女性に憧れる10代の女子たちをときめかせたのが1994年に発売開始された「資生堂ヌーヴ」のシリーズ。マスカラやアイシャドウ、ネイルからオーデコロンまでさまざまな種類がそろい、カラフルなパッケージも乙女心をくすぐった。安価でたくさんの色がそろうので、たくさん集めて試せたのもうれしかった。当時の女子が、メイクのいろはを覚えた人気コスメブランドだった。

あの頃を思い出して胸キュン♡

いかがでしたか? アラサー&アラフォー世代の読者には、青春時代を思い出して「懐かし過ぎる~!」「これ、持ってた!」ともだえてしまった方も多いのではないだろうか。

活気あふれる90年代を彩ったはやり物たちをご紹介しました。時には昔を振り返って、甘酸っぱい気持ちになってみては!?

取材・文=本嶋るりこ

 
 

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