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来年の主役はココ!鎌倉のご当地ネタを紹介!

目次

・金運アップの有名スポット!銭洗弁財天
・坊主のミスから生まれたけんちん汁
・かつては“しらす”ではない名物が存在!?

 

2022年1月から放送開始予定のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。この作品の舞台となる神奈川県・鎌倉市は、山や海などの豊かな自然に囲まれ、歴史の古い神社仏閣も数多く存在し、パワースポットとしても人気の観光地となっています。今回はそんな鎌倉の歴史にまつわる、知っているときっと誰かに話したくなる⁉ご当地ネタを紹介します。

金運アップの有名スポット!銭洗弁財天

銭洗弁財天は、言わずと知れた鎌倉随一の金運ご利益スポット。「奥宮の霊水でお金を洗うと増えて戻ってくる」といわれており、週末ともなると参拝客の行列ができることも珍しくありません。

起源は、巳年の文治元年(1185年)巳の月・巳の日に、人頭蛇身の水神・宇賀福神が源頼朝の夢枕に立ち、「この地に湧く水で神仏を供養すれば、天下泰平が訪れる」と告げたこと。そのお告げに従って頼朝が社を建てたことが始まりとされています。その後、頼朝の信仰を受け継いだ鎌倉幕府5代執権・北条時頼が、奥宮の霊水で銭を洗い一族の繁栄を祈ったことが、今に続く民間信仰につながったのだとか。

金運アップはもちろんですが、デトックスや癒やしを求めて行くのもお薦め。参拝客が少ない平日の朝、水の神を祭っている上之水神宮や下之水神宮、境内にある小さな滝や池のそばで、ゆっくりと過ごすだけでネガティブな気持ちが晴れ、清々しい気分になりますよ。

坊主のミスから生まれたけんちん汁

けんちん汁は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼によって創建された日本初の禅寺、建長寺が始まりといわれています。けんちん汁の由来は諸説ありますが、坊主が床に落としてしまった豆腐を、建長寺を開山した中国の禅僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が洗って野菜と炒めて煮込んだ「建長汁」が起源というのが有力な説。それがなまって「けんちん汁」になったのだそうです。当時、日本料理の主流は煮るか焼くかの2つだった中、油で炒めてから煮るという方法自体、蘭渓道隆が中国から持ち込んだものだといわれています。

けんちん汁と豚汁を混在してしまうことがありますが、そもそもけんちん汁は禅寺で作られたメニューなので精進料理。肉や魚は使わず、野菜は「他の者の命を頂だく」という気持ちから皮も残さず使うのが正統だそう。仏教の「食平等(じきびょうどう)」の教えから、多くの修行僧たちに「普(あまね)く公平に」行き渡るよう、食材はなるべく薄く細かく切るのも特徴です。

かつては“しらす”ではない名物が存在!?

鎌倉の海というと、海水浴やヨット、サーフィンといったレクリエーションのイメージが強いですが、“しらす”が特産物であるように、古くから沿岸漁業が営まれています。しかし、鎌倉の“しらす”がここまで有名になったのは2000年に入ってからで、古くをたどると、江戸時代は初ガツオやエビが名物だったそう。

「鎌倉を生きて出でけむ初鰹」と松尾芭蕉に詠まれたほど、鎌倉で獲れた初ガツオは江戸で人気だったため、船で運ばれてくるのを待ちきれずに沖で待ち受け、高値で買い付ける人もいたとか。

また、現在では、“伊勢エビ“と呼ばれる大きなエビも、江戸時代に鎌倉沖で獲れたものは全国的に”鎌倉エビ“と呼ばれ、伊勢で獲れる”伊勢エビ“と並び有名だったそう。昭和30年代ごろから漁獲量が激減し、流通量が減ったことで、いつの間にか”伊勢エビ“にお株を奪われてしまいました。

数十年前までは、”鎌倉エビ“のフライを卵でとじた「鎌倉丼」が現在のしらす丼のような名物として、お祭りや市内各所で提供されていたようです。

いかがでしたか?ほかにも鎌倉には現在の食文化や習慣などに影響を与えた歴史ネタがたくさんあります。NHK大河ドラマの放送を前に、鎌倉の歴史について調べてみてはいかがでしょうか。

文=ruum編集部

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